● 16日(火)午前、広島県が主宰する戦略的産業活力研究会の全体会議がありました。この研究会には100を超える企業・団体や大学関係者が参加し、自動車産業のエレクトロニクス化、軽量化およびリサイクルという3つの分科会に分かれて定期的に研究交流を開催しています。その成果の1つとして、2008年夏にはカーエレクトロニクス・センターが開設されました。
● その全体会議で、私は会長として開会あいさつをしました。大意、以下のような内容です(これは、2008年3月の全体会議で私がおこなった「自動車産業と地域経済」という講演をふまえたものです)。
(1)自動車産業は、国内に関する限り「斜陽産業」といってもおかしくない。
(2)1985年の円高不況やバブル崩壊後の長期低迷は、日本がひとりで勝手に転んで起きたものであり、日本さえ立ち直れば、その後は外需主導で回復した。しかし、今回の経済危機の影響は世界的規模で広がっている。長期化が予想される。
(3)このような状況に活路を開くのは技術である。ものづくりを軸に愚直(伊丹敬之・一橋大学名誉教授)かつ柔軟に対応していくことが期待される。
■ 国内の自動車産業が大きな曲がり角にあることは、国内販売台数がすでに減少していることにも現れています。今回のあいさつでは、曲がり角の指標として、2つのことを取り上げました。1つは付加価値額からみた成長曲線です。エレクトロニクス産業の成長曲線は、緩やかな「S字」を描きながら、長期的には上向いています。ところが、自動車については2000年前後をボトムに上昇してきましたが、どうやらピークを迎えているようなのです。エレクトロニクス産業については、コモディティ化が進み、デフレの圧力にさらされても、新製品が登場してきます。たとえばテレビのモニターは、ブラウン管から液晶やプラズマに交代し、さらに有機ELの商品化が見込まれています。他方、自動車は所詮、自動車です。内燃機関や制御システムが進歩しようとも、基本的には「T型フォード」の時代と大きく異なっているわけではありません。
■ もう1つは、広島県の自動車産業です。県内総生産(県民経済計算)に対する自動車製造業の付加価値額(工業統計)の割合をみると、2001年から2005年にかけて、全国では2.1%→2.6%に拡大しました。特に愛知県については12.1%→13.6%に上昇しています。一方、広島県については2000年代に順調に伸びたものの、ウエイトは2.8%→2.7%に相対的に低下しました。これは、自動車産業の関係者にとっては不満かもしれませんが、広島県経済にとっては産業構造の「多様化」を意味しているともいえます。このことは、地域経済政策の検討に際しても考慮せざるをえないのです。
● 実は、あいさつの準備をするために、事前に目を通しておきたい雑誌がありました。『週刊 東洋経済』の12月20日号です。自動車産業を特集するという広告を日曜日の新聞で見かけました。月曜日の夜、書店に立ち寄ったところ、広島での販売は火曜日ということでした(遅いのです!)。結局、同誌を入手したのは火曜日の夕方でした。興味深かったのは、自動車ジャーナリストの清水和夫氏と自動車産業アナリストの中西孝樹氏の対談です。現在の自動車はテレビでいえば「ブラウン管」という清水氏の指摘は、私の話と同じです。中西氏によれば、トヨタの営業利益6,000億円というのは損益分岐点ぎりぎりであり、同社のビジネスモデルは「破綻とはいえないが、挫折に直面している」ということです。
■ そのあと野口悠紀雄教授の新刊『世界経済危機─日本の罪と罰─』(ダイヤモンド社)を読みました。同著によれば、日本は今回の経済危機の震源であり、中心にいるということです。どういうことかというと、わが国は低金利・円安誘導政策を続けてきました。円安であれば輸出は活発化します。獲得された米ドルは、「円キャリー」でアメリカに還流します。これはアメリカの金融市場や住宅市場を活発化させました。日本の輸出はさらに増えます。そのバブルがはじけ飛んで、世界的規模で影響を及ぼしています。なかでも日本については、低コスト資金を世界中にばらまいた“罪”の代わりに、これまでアメリカの食い物にされ、これからさらに大きなツケを支払わされるという“罰”を背負わなくてはなりません。輸出産業の代表は自動車です。つまり、以上をまとめていうと、「日本の自動車産業は、円安に乗ってアメリカでの自動車販売を増加させ、そこで得たドルをアメリカに投資し、(結果的には)住宅ローンを支援し、住宅価格バブルの増殖に手を貸した」ことになります。
■ いずれにしても自動車産業は、大きな曲がり角を迎えていることに変わりはありません。野口教授は「脱ものづくり」を主張していますが、日本の地方都市からものづくりがなくなると、ヨーロッパの地方都市以上に悲惨な状況になると私は考えています。日本の自動車産業については、コモディティ化する方向とプレミアム化する方向の両極が考えられます。どちらの方向に向かうにせよ「ブラウン管」から脱却するためには、自動車の社会的性格をもっと重視すべきだと思います。自動車が走るためには、道路、橋梁、歩道、横断歩道、信号機などが必要です。ドライバーが運転ルールを守るのは当然のこと、歩行者も交通ルールに従わなくてはなりません。これは、テレビや携帯電話とは大きく異なる特徴です。資源・エネルギー問題をはじめ、排気ガスや騒音といった自動車の「社会的費用」の問題を含めて、自動車を社会経済システム全体の中でとらえ直すことが問われていると思います。今回の経済危機をそのきっかけにしなくてはいけない。