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金融立国か金融亡国か

● 産業資本と金融資本のどちらが優位かというのは、マックス・ウェーバー以来の古典的な命題です。資本投入によって生産される財・サービスの伸びはしだいに鈍化するのに対し、金融資本はいわば自己増殖的に伸びていきます。その結果、今日では金融資本が産業資本を圧倒しています。世界の貿易額は年間14兆ドル程度であるのに対し、株式市場と債券市場だけで110兆ドルを超え、このほかに原油や金の先物取引があります。日本の株式市場についても内国株式の売買高だけで1日3兆円あまり、年間だとGDPの1.5倍くらいの規模に達しています。

● このような趨勢をうけて、わが国の「金融立国」が喧伝されています。たとえば、櫻川昌哉慶応大学教授による『金融立国試論』(2005年)、野口悠紀雄早稲田大学教授による『モノづくり幻想が日本経済をダメにする』(2007年)、ビル・エモット氏(『エコノミスト』元編集長)とピーター・タスカ氏(ステラテジスト)による『日本の選択』(2007年)などがそうです。

● 論者たちの趣旨は、「日本は産業の高度化と経済のグローバル化への対応が遅れている。成長力の高い分野に資源を投入すべきである。金融関連産業は今後とも成長が見込まれる。わが国では、家計の金融資産が1,500兆円を超えているうえ、江戸時代にデリバティブの原型を発明しているなど、金融分野にはもともと強みがある」というものです。この主張は、分かりやすいといえば分かりやすい。金融関連産業は経済産業のまさしく潤滑油ですし、今後とも重要な産業であることはまちがいありません。

■ にもかかわらず、「金融立国論」には懸念を払拭しきれません。主たる理由の一つは、現下のように金融資本にはバブルの発生とその崩壊がつきまとうことです。もう一つは、金融関連産業というのは特定の大都市に集中する産業であることです。エモット氏によれば、「東京を国際都市にする代わりに、その他の地域は昔ながらの日本であり続ければどうか。イギリスはすでにそうしている」といいます。さらにもう一つ、大瀧雅之東京大学教授「“金融立国論”批判」(『世界』2008年3月)によると、金融関連産業の規模はGDPの7%、雇用は全産業の4%にすぎないのに、「金融立国論」を唱えるのは、過保護行政とマスメディアにうまく乗せられているからだと辛辣です。

■ 金融資本の横暴な振る舞いを格差の元凶とみなす見解も少なくありません。石油や小麦の世界的な高騰は、だぶついた資金が原油や穀物に流れ込んだことも影響しているとみられています。アメリカの大手証券会社の社員の年収は、アシスタントを含めても平均50万ドルを超えるといいます。国連大学世界開発経済研究所によると、上位1%の富裕層が世界の総資産の約40%を保有しているということです。その一方、世界の労働人口のほぼ50%は1日2ドル以下で生活をしているといわれます。行き帰りのバスでときどき一緒になる法科大学院の教授などは、温厚な性格であるにもかかわらず刑法専攻であるせいか、「金融資本の身勝手な国際間移動は制限すべきではないか」と憤慨しています。

● この思いには共感できます。ところが、小幡績慶応大学准教授の近著『すべての経済はバブルに通じる』(2008年)を読むと、金融資本を社会的に制御しようとするのはまず無理だとされています。氏は、実体経済と金融経済が主客転倒した構造的な症状を “cancer capitalism”と呼んでいます。みるからにおぞましい表現です。では、このまま悪性腫瘍に飲み込まれてしまうしかないのかというと、そういうわけでもなさそうです。氏の見方では、マネーがあふれ出たせいもあって、モノの値段が相対的に上昇している。これは主客転倒した状況への反動を示唆しており、“cancer capitalism”の完治は「意外と遠いようで近い気もする」ということです。

政府にも市場にも不信?

● 大竹文雄『格差と希望』(筑摩書房、2008年)を読んでいると、興味深い調査結果が紹介されていました。ウエブサイトから取り出して少し詳しくみてみると、興味深いどころか、どこか空恐ろしくなるような思いがしました。調査というのは、ワシントンに本部のあるPew研究センターが定期的に実施している国際世論調査です。以下は、47か国を対象とした2007年春の調査結果の抜粋です。分かりやすくするため、「そう思う」という回答から「そうは思わない」という回答を引いた割合で比較してみました。

■ まず、《自由市場経済のもとでは、一部の人々は裕福になり、一部の人々は貧しくなるとしても、多くの人々の生活はよりよくなると思うか》という質問については、中国51%、韓国49%、イギリス48%、スウェーデン48%、ドイツ32%であるのに対し、フランスでは9%にとどまります。ところが日本ではマイナス1%であり、わずかとはいえ「そう思う」49%を「そうは思わない」50%が上回っているのです。

■ 次に、《国家または政府は、私たちの日常生活をコントロールしている、影響を及ぼしていると思うか》という質問については、ドイツ49%、アメリカ32%、イギリス31%、フランス30%、スウェーデン26%であり、いずれも「そう思う」という回答が「そうは思わない」という回答を2倍程度上回ります。これに対し、韓国マイナス11%、中国マイナス19%、そして日本では「そう思う」34%、「そうは思わない」64%であり、差し引きマイナス30%。東アジア3か国では、いずれも否定的回答が多いのです。

■ もう一つ、《自分の面倒をみることができないほど非常に貧しい人々の世話をするのは国家または政府の責任と思うか》という質問については、ドイツ85%、イギリス83%、中国81%、韓国75%、スウェーデン74%であり、「そう思う」という回答が圧倒的に多い。一方、アメリカでは42%に低下し、さらに日本では「そう思う」59%、「そうは思わない」38%であり、差し引き21%にすぎません。

● 多くの主要国では自由市場経済の意義を認めているのに対し、わが国では肯定的ではありません。主要国の多くでは自由市場経済を容認する一方、国家または政府への信頼があるからこそ、格差是正を国家または政府の責任とみていると解釈されます。しかし、わが国はそうではないのです。わが国は、自由市場経済の恩恵を享受してきたにもかかわらず、手厚い社会保障制度を構築してきたにもかかわらず、さらに膨大な借金を犠牲にしながら政府部門に対して過大な要求をしてきたにもかかわらず、それがこの調査結果なのです。

消費者庁は必要か?

● 2008年6月に「消費者行政推進計画」が閣議決定され、その一環として消費者庁(仮称)の設置が検討されています。生産者重視から消費者重視への転換には意義があります。内閣に消費者行政担当大臣を置くことは理解できます。各地の消費生活センターを充実することは納得しえます。けれども、お役所を新設する必要があるのかと思っていたところへ、はたして反対論が出てきました。

● 一人は、財務省出身の榊原英資早稲田大学教授(産経新聞「正論」2008年7月28日)。氏の主張はこうです。個人消費はGDPの6割を占めるほど膨大で多様であるのに、単一の省庁ですべての分野をカバーできるのか。農林水産物、食品工業、小売業、医療、介護、理美容などについては、それぞれの関係省庁が所管している。消費者庁は、これに屋上屋を架することになる。食品偽装問題や毒入りギョーザ事件をきっかけに消費者保護に対する関心が高まっていたところへ、マスメディアが煽り、これにポピュリズム化した政治が乗ってしまったのではないか。過剰な消費者保護は規制強化と関係省庁の権限強化に結びつきかねない。

● もう一人は、経済産業省出身の石川和男東京女子医大教授(日本経済新聞「経済教室」2008年9月4日)。氏はこう主張します。多数の関係法令のうち29法令だけ移管対象となっているのは恣意的だ。一つの窓口で対応するという「ワンストップ機能」を整備することは重要だが、これは国民生活センターならびに各地の消費生活センターのような「現場」で対応できる。消費者保護の名目で事前規制が強化されれば、健全な経済活動を阻害するおそれがある。

■ 地方分権は、中央政府の権限・財源を地方政府または民間部門に移譲することを意味します。その前提として中央政府・地方政府を通じて、政府部門の役割を徹底して見直すことが必要です。そういう議論をしているときに、中央省庁の再編・統合ならともかく新設する必要があるのか。そもそも消費者保護というのは、消費者と生産者の間における「情報の不完全問題」に対応することを目的しています。であれば、住民に近い「現場」の機能を強化すればよいはずです。どうしても中央省庁をつくるというのであれば、石川教授が指摘しているように「経済産業省を廃して国民生活省を新設する」くらいの覚悟が必要ではないか。

「ふるさと納税制度」は悪い競争

● 「ふるさと納税制度」が開始されて4か月が経過しました。新聞やテレビで、その中間点検のようなことがおこなわれています。

● 同制度の問題点については、1年前の本欄で紹介しました。さらに次のような問題点を追加したいと思います。一つは、「ふるさと納税制度」は、選挙権を持たない非居住者に課税するという「租税輸出」の性格を持っていることです。これはホテル税や観光税などと同じです。もう一つは、都道府県・市町村のなかには「ふるさと納税」を集めるために「歳出競争」に走り出しているところが少なくないことです。「地元産品の振興につながるから」という名目で、寄付をした人に対して特産品などを送っています。せいぜい数百万円の「ふるさと納税」を集めるために専任の要員を配置し、「お礼」まで手配することで、ほかの行政サービスを犠牲にするおそれがあります。これらは、いずれも地方政府間の「悪い競争」をもたらしかねないことが懸念されます。こういった「お祭り」を毎年度繰り返すかと思うと憂鬱です。

● 納税先や使途を自分で選択できるという点で「ふるさと納税制度」が興味深いものであることはたしかです。しかし、現行制度については賛成できません。従来の寄付制度のまま控除額を引き下げるだけでよかったはずです。本来は崇高な意思の発露であるはずの寄付を「納税」などと呼び替えるからまぎらわしい。少なくとも住民税から控除するのではなく、所得税から全額還付するようにすれば、地方政府間の「悪い競争」を抑止することができるかもしれません。

■「ふるさと納税制度」に反対(2007年7月14日)■
http://www.leap-up.com/tuna-log/ito/diary.cgi?no=25

地域活性化推進連絡会議(下)

● 昨年、原田泰氏の『日本国の原則』(2007年)を読みました。何か感想をまとめようと思っているうちに、野口悠紀雄氏の『戦後日本経済史』(2008年)が出版されました。2人は、わが国の経済社会の原像を戦前・戦時中に探し求めようとしています。チャーマーズ・ジョンソンのような産業政策主導論については、2人とも懐疑的です。安倍晋三前首相が問うべきであったのは、日本国憲法や教育基本法に代表される「戦後レジーム」ではなく、自分の祖父が築いた経済面の「戦後レジーム」ではなかったのか──これは野口教授の問いかけです。

● 田中秀臣氏の近著『不謹慎な経済学』(2008年)を読んでいると、戦時中には「右翼と左翼が渾然一体となった“理念”が存在していた。この“理念”のために現実を見られなかった戦前の知識人の遺産が、今日まで尾を引いている」という言葉に出くわしました。時計の12時を挟んで右と左が連続しているように、1930年代の「革新官僚」は、きわめて保守的でもあってもおかしくはないのかもしれません。

■ そんななか、2か月ばかり前のことです。福田内閣による地方再生戦略の一環として、中国ブロック地域活性化推進連絡会議というものができました。議長は内閣府の中国地方担当参事官、委員は中国地方にある国の地方機関の担当部長、中国地方5県・広島市の企画担当部長、民間の有識者など、幹事機関は中国経済産業局です。また、国土形成計画に基づく中国圏広域地方計画の策定が2008年度に本格的に始まる予定です。中国地方整備局を事務局に、国の地方機関、中国地方の各県・広島市、市長会・町村会、経済団体などから構成されています。

■ これらの動きを眺めていると、60年前の中国地方綜合開発委員会が重なってきます。既視感を覚えます。

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